(何故だ?何故あいつがこんなことに首つっこんでるんだ……ったく濡れるんじゃなかった……) 半畳ほどの扉の下ははしごになっており、レイは苦い顔で音をたてず降りた。 (あいつが首つっこんでるんだ…むだにトラップがあるな……) 地下は打ちっぱなしとはいえ、それなりの通路になっているように見えた。 が、考えたそばから壁に「押してみてvV」と丸文字で矢印つきのスイッチがあり、その奥には「引いてみて★」と書いた紙がついた紐がぶら下がっていた。 さらに、奥には「喧嘩上等」と大書したのぼりを背負い「いらっしゃ〜いvV」と書いてある旗を持ったキューピー人形。 げんなりしながらレイは奥へ進んだ。 地下通路は蟻の巣式に扉があり、地下室というより地下牢といった雰囲気だった。 (南にこのまま進めば地上につながる出口がありそうだが。) にがりきった表情を引き締め、油断無く目を光らせ人の気配を探る。 あいつが首をつっこんでいるとなると、一人で来たことを少々後悔しないでもなかった。 「うわぁぁあぁあー―‐!」 男の悲鳴が響き渡った。 激しく物がぶつかる音がし、ガラスの砕ける音がした。 金属音もそれに混ざる。 (くるか!?) 犯人(?)と鉢合わせした場合。 一、速攻気絶させる。 二、脅す。 三、逃げる。 (まぁ、それはいつでもできるしな。) 「あいつ」とは声が違う。少なくともこの件に二人関わっている。レイチェルのほほに物騒な笑みがうかんだ。 (もう少し、探ってもいいかな。) 気配を殺し、そっと一番手近な左の扉に触れる。鍵はかかっていない。 ただ、少しすえたような臭いに薬品の臭いもする。 ガチャガチャと前方右側三つ先の扉から先ほどの悲鳴の主(多分)が出てくる。 レイチェルはするりと、部屋のなかに滑り込んだ。 (あ。濡れた跡でいくら何でもバレるわな。) 隠れた部屋は通路と同じように打ちっぱなしではあったが、すのこやむしろが敷いてあった。 薄暗く、それらは最初奇妙な模様がついている様に見えたが臭いからすぐに思いたった。 生き物の糞尿の臭いだ。 それを、無理やり薬品で消した。そんな感じがした。 部屋の中はむせかえるほどではないが、胃からせり上がるものを感じるぐらいは臭った。 (染み着きそうだ。…ほかには何かないのか?) 足音は音高くレイチェルのいる隣の部屋に入っていった。大声が響き渡る。 「ちくしょう!」 (全くだ。) うんうんと頷きながらレイチェルは一応部屋の確認をする。 (も、いいや……) 荒縄に確かめたくもない固形物がついているのを踏みそうになり、レイチェルはあっさりと盗み聞きに専念する事にした。 「あの野郎…怖じ気づきやがって…やってやる。やってやる。 …そうさ、おれだけだ。おれはおれ一人でできる。おれはおれ一人不老不死になるんだ。 …子供は子供のまま、大人に愛されてればいい。そうだ。おれが……」 決して、濡れただけでない寒気がレイチェルを襲った。 ドスドス足音荒く男は部屋の中を歩き回っているようだ。 「そうさ、女なんてクズだ。」 (言うねぇー。変態妄想狂が。) 「ちくしょう!」 男の移動範囲から予想して、男のいる部屋はレイチェルのいる部屋より狭いように思えた。 『レイ。聞こえるか。』 スルエンからの通信が入った。 レイは壁から離れた。 『聞こえてるよ。』 『急げ。子供達が危険だ。』 淡々とした物言いだが、レイはその言葉に焦りを感じ取った。 『今、私とバロールはそちらに向かっている。犯人は見つけたか。』 『どうした。今行方不明の子供はいないでしょ。犯人は隣の部屋に』 レイの言葉を遮り説明をしたスルエンの話を聞いたレイの顔はみるみるうちに怒気に染まった。 『急げ!レイ!!』 マイクをひったくり、叫んだバロールの声に後押しされたようにレイは隣の部屋に飛び込み男を組伏せた。 もう、潜入も証拠探しもへったくれもない。 『ヘリもあと10分でそっちにつく。薬をわたせ!それが早い!』 「子供達に何をした!!」 「3月うさぎは貴様だな。」 ぎりぎりと男の首を締め上げながらレイは尋ねた。 「子供をさらい、眠らせ、何をした!」 その部屋は形状こそいびつだが、六畳間程度の広さはあった。 一番奥にパソコンデスクがあり、その上には当然、パソコンがあった。 起動してある。 レイには理解できない科学記号がずらずらと並んでいる。 科学は専門外だ。 だか、このデータがあれば薬の成分がわかるだろうということは予想できた。 しかし、時間が無い。 男はニヤニヤと笑っている。 『最初にさらわれた子供が今さっき、緊急隔離された。』 スルエンの声が蘇る 男の目は正常とは言い難い光を宿しており、奇妙な優越感を青黒い顔に漂わせた。 まさか。 嫌な汗が背中を伝う。 レイは唸るように続けた。 「……さっきいっていた、不老不死とやらか……?」 少し、力を緩める。 かすれた声で男がつぶやく。 「女か。フン、貴様なんぞに理解できるものか。」 「一体何を投与した。」 怒りで琥珀の瞳を金に光らせながらレイは唸る。 そして容赦なく腕関節を痛めつける。 「ぐわぁあぁっっ」 悲鳴をあげながらも薄笑いを浮かべている男に舌打ちをし、レイは一度男を縛りあげ、転がす。 男は白衣を着ているが、あちこちに真新しいかぎざぎがある。顔や手足に切り傷もあり、先ほどの悲鳴と関係がありそうだ。 何となく想像がつかないでもなかったがその事には特に聞かず、“もう一人”に話を聴こうと振り返った。 開いた戸口に細身の青年が立っていた。 目が会うと少し拗ねたように口をとがらせる。 「ねぇレイさん。せっかく僕が用意した歓迎パーティーセット、無視しちゃったんですかぃ?」 立ったレイと向かい合うと頭半分は低い。 「見損なったぞ。こんなことに手を出すなんてな。ロリー。」 「勘違いしないでくださいよぅ。僕だってレイさんに嫌われたくないし?」 小首を傾げた様子は少年というには年がいきすぎているが青年というにも愛嬌がありすぎる。 普段のレイならここで軽口の一つや二つ叩くが今は命がかかっている。 「今、なぜお前がここにいるかは聞かない。あの変態が子供にしたことを知っているのか。」 「さらってきた。で、それが?返したでしょ?」 さらってきただけでも大事なのに、返したんだからそれで終わりといいたげなロリー。 可愛い顔をして随分なことを言う。 話が進まない。 「なにかおかしな薬を投与された疑いがある。どれだ。持ち帰り分析したい。」 「薬?…あぁ。奥の部屋まだみてないんだ?らしくないなぁ。今日はバロールさん来てないの?だったら教えてもいいよ。 あいつで憂さ晴らしできて、ちょっと気分いいしね。」 「来ていない。だかもうすぐ車で来る。どの部屋だ。わかるのか。」 一度言葉を切るとレイは声を落とし、確か抜け道があったな。と付け加えた。 言外にレイはお前のことは黙っておく。と、にじませたのだ。 バロールはロリーのことをあまり快く思っていない。 ロリーもそれを知っているから面倒な時には会わないようにしているようだ。 しかし、レイのことは気に入っているのでこっそり会いに来る。それがまたバロールの勘に触る。 ひょいと肩をすくめたロリーは手招きしながら部屋に入った。 「……なんだこれ」 後に続いたレイは入り口で思わずそう漏らした。 その部屋は変態が悲鳴をあげた理由がはっきりわかる有り様だった。 奥には半畳ほどの床板が下からスプリングで押し出され、ゆらゆら揺れている所 (おそらく変態はその上にのり、勢い良く弾かれテーブルに激突したのだろう。横のテーブルの上は壊滅的だった。) そして、そこからドアまでの壁からはこれまた、バネつきグローブがびよんびょんと揺れている。 床に川でも流れたように水の跡があるので天井を見上げると、 じょうろを持ちサングラスをかけたひまわりが逆さまに並んでいた。 「あ、それ一度出てきたら引っ込まないんですよねぇ。次の課題はそこと二回以上放水できるようにってことかな。」 水に光るテグスをまたぎながらレイは奥に進んだ。 鍵のついた戸棚がある。 薄暗い部屋の中でもはっきりと何が納められているかがわかった。 それを確認したレイの顔色が激情の赤から紙の白へと転じた。 間近で見るソレは一度みたら忘れられない光を放って。 「なんかその薬?不老不死になれるそうですよ。子供に投与した薬、それじゃないかなぁ。随分入れ込んでましたよ。」 中にはキラキラと自然界には有り得ない光り方をした液体が入った点滴パック。注射器、液体の入った小瓶があった。 「あの人子供の写真取りまくってましたからね。眠らせて。その写真は向こうですよ? だから、てっきりソレ目的かと。まさか薬物投与までしてるなんてねぇ。」 ロリーの言葉はレイの頭には届いていなかった。 薄いガラスを点滴パックにかからないように割り、そっと取り出す。 ソレを手にレイは転がっている変態に尋ねた。 「これと似たものを私は見たことがある。それは、体内に入れば必ず死ぬ物だった。」 男は奇妙な笑いを浮かべてレイを見上げた。 「これか。子供に投与したのは。」 一瞥で充分だった。間違いない。 「解毒剤はあるか。」 「毒を作った覚えはないな。」 痛烈な舌打ちをレイは打った。 無言の圧力がレイの全身から吹き出す。 ざわりと長い髪が、黒髪に混ざる金髪が光を抑え黒髪が意志を持って揺れたようにも見えた。 微かに震える指はそれでも無線に触れ、かすれる声はその事実を告げようとする。 「二人とも、聞いてるか。」 『あぁ。もう着くぜ』 答えたのはバロール。 こんな時に奴が答えてくれた事が、声を聞けたことがたまらなく心強かった。 「シルヴァに連絡してくれ。」 喉が乾き口内が粘る。 『何があった。』 今度はスルエン。冷静に先を促してくれる。 「葉毒の疑いがある。」 まるで、その言葉そのものが毒の塊のように感じられた。 |