「今回の物は違うよ。“もどき”を使ってる。成分は似てるけど、かなり強い興奮剤ってとこだね。 前に摘発された成長ホルモン抑制剤にもにている。実際にマウスあたりで試さなければわからないけれど。人体には毒は毒。」

レイチェルの、祈るように、すがるように握り締めた拳を自分の掌で包むようにして穏やかに彼は告げた。
その目は疲れを見せながらも、理知的で声同様に穏やかな光をたたえている。

「…ありがとう。デニー。」

やや上目づかいで一度見上げ、レイチェルは申し訳なさそうに、つと下を向いた。

「……………お礼はいいから。次からはノックをして部屋にはドアから入ってきてくれよ?」

人の良さそうな笑みで頬には一筋冷や汗を垂らしている。

パジャマの上に白衣を引っ掛けあちこち髪がはねていることを覗けば、なかなかの好青年。

社に戻るより、早いとバロール達をせきたて彼の自宅兼研究室に押し掛けたのだった。

「…ごめん」

立ち上がり、身長が並ぶ。
いや、わずかレイチェルが高い。努めて何気なくデニーはかぶりを振った。

「いや。いいんだよ。ただあの足跡が少し気になるだけだから。」

その視線の先には、仮眠ソファーがあり、脇には黒茶で泥混じりの足跡が窓から続いていた。

穏やかに、温かみすら感じるデニーの言葉にあさっての方角を向くレイチェル。

「……………うん。あとでね。」

冷や汗を垂らしながら、いそいそと解析データを受け取りきちんとドアへ向かう。

「待ってるよ。お疲れ様。」

穏やかにーそれは多分に諦めと悲しみを含みながらー労いの言葉もかけられた。







機能美においてまとめられた部屋に三人はいた。

カウンターがあり、ハムとチーズのサンドイッチに三光屋のケーキの箱、ポットに入ったコーヒーが置かれている。

「じゃあよ。結局葉毒じゃあなかったんだな?」

ソファーにふんぞり返ってバロールがつまらなさそうに言い、スルエンは軽く考えるように白い指をあごにあてた。

「そうみたい。」

安心と焦燥感の混ざった笑みをレイチェルは浮かべた。

長い指を華やかなリボンに絡めほどき、ケーキの箱を開ける。
トリプルフレッシュベリー。バロールの眉がピクリと動く。

「しかし、奴はどう思っていたんだ?自分は“本物”を使って別の物を作っているつもりだったのか“もどき”と知ってその“浮浪節”だか“不老不死”だかを作ったつもりだったのか?」

軽くかぶりを振りレイチェルは答えた。ケーキにナイフを入れる。

「知ってたみたい。まぁ葉毒そのものに興味なかったみたいだからどっちでもよかったらしいよ。」

切り分けた三光屋のトリプルベリーケーキを口に運びながらレイチェルが答える。

それを聞き、バロールの表情が意地悪く変化した。
立ち上がり、わざわざ切り分けられたレイチェルのケーキに手を伸ばす。

「はっはぁ…。珍しくミスドーソンは思い込みと勘違いで途中突っ走ったわけですな?」

「……………その苺は私のだからね。」

自分用にとったはずの一番赤かった苺をバロールの口に見送りながらレイチェルはぼやいた。

それを聞き流し彼は自分用に二切れ分のサイズでカッティングをした。








室内の電気を半分だけ点けたまま、レイチェルは報告書を書き上げ送信した。

ゆっくりと息を吐くと目の前には白磁に繊細な小花の散ったカップがあった。

かすかに湯気がたっており、甘いイチゴの香りがした。

「美味しいイチゴジャムをいただきましたので。お嫌でしたか?」

柔らかな、少女の域を幾ばくか過ぎた声はささくれだったレイチェルの心にゆっくりとしみた。

おだやかな笑みが浮かぶ。

「ありがとう」

熱すぎない紅茶に口をつけると、レイチェルはけして世辞だけでなく目をみはり、美味しいと笑った。

「…今日は苺に縁がある。」

「はい?」

レイチェルはただほほえんだだけだった。 飲み干し、時計をみると11時をまわっている。

「遅くまで悪かったね。送っていくよ。明日は昼からでいいからね。…先にタイムカード押しといで。」

カップを自分で片付けレイチェルは室内の灯りを全て電気を落とした。

……久々に長い一日だった。

先ほどの穏やかな笑みからは一転、肉体的ではなく精神的に疲労した色がレイチェルの瞳を曇らせる。


葉毒


実際には違ったものの、あの玉虫色とも鈍い七色とも言える光は精神衛生上非常に良くない。


今回は、実際に投与された薬が手に入り、早くに解毒剤が投与できたおかげで幸い子供達に別状はないようだった。


その事実がレイチェルに安堵をもたらす。




……………シンパ……………



かつての部下の名前が頭をよぎる。

若かりし日の過ち。やっと区切りができたかと思っていたが。

またもや顔を出し自分を翻弄する。


「あの時」の残り香が未だに残っているような気がする。



鮮やかに、残酷に。

冷たく厳しく、青く赤く。




頭を振る。

悪い癖がまた出る。同じことをぐるぐる考え足が止まる。




すぎたことは変わらない。

昨日のことを反省しながら今をおろそかにしてはならない。

今をおろそかにしてはまた明日後悔しなければならなくなる。



今だ。



今をおろそかにしては……………





「レイチェルさん?どうしたんです?暗い所で…なにかありました?」



こうなる。






目の前には不安げな顔で先に下りたはずの小リスがいた。

遅いので戻ってきたらしい。

暗がりに紛れ、苦笑する。

「またせてごめん。帰ろうか。」





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