まとわりつくような、うっとうしい雨が降っている。

青灰色の空の下、女が一人傘もささずに急いでいた。

濡れた黒い髪は額と頬に張りつき、乾いていれば動きやすそうなズボンも、膝下が特に濡れしなやかな脚がくっきりとみえている。

不幸中の幸いか濃い色のジャケットを着ており、その下になにか濡れないように抱えている。

ざりざりと靴の下で小石が音をたてている。

道路工事があちらこちらで行われ、走りずらいことこの上なさそうだが、女は素晴らしいスピードで軽やかに駆けている。

道の脇にはずんぐりとしたソテツの木が並んでいる 。

少し視線を右にずらせば海が見えるが女は脇目もふらず前へ進んでいる。

いくら南国で多少気温が高くとも今は2月。このままでは風邪をひく。

しばらく走るとモーテルが何軒か並んでいた。女はその手前から三軒目のドアを勢い良くあけ、中に飛び込んだ。

「濡れた!」
「見りゃわかる。飯。」

中には、濃い灰色の髪をライオンのように逆立てた目つきの鋭い男が一人。

「バル―ー、雨の中一生懸命昼飯ぬらさないよーに帰ってきた相棒に向かってそりゃないよー…ねぎらいの言葉とかさぁー―」
「こっちだって遊んでるわけじゃねぇんだぞ。じゃんけんに負けたてめぇが悪い。」

バロールは言いながらレイチェルの買ってきたバーガーをほうばる。
レイチェルは さっさと着替えを済ませて髪を乾かしている。
熱いコーヒーをすすり、尋ねた。
なんだかんだ言いながらバロールが煎れてくれたのだ。

「首尾はどう?」
「サッパリ」
あっさりバロールは答える。


今、二人が「守らなければならない」のは、この近辺に住む子供達の安全。

『海辺の3月うさぎ』を自称する男性が子供をどこかへ連れて行き、

一晩たったら自宅付近で解放するという珍事件が起こり、 今までに三人連れていかれ帰ってきている。

連れていかれた子供達の共通点は、防砂林で連れていかれたことと年齢が十歳前後ということ。

一人目はかくれんぼをしていた時、急に眠くなり気がつくと変な小屋にいたという11歳の男の子。

他の子は無事だった。

二人目は、犬の散歩中に声をかけられ話をしている時に、何か妙な匂いがして気がつくとベッドの上だったという十歳の女の子。

三人目は二人目の女の子の兄で両親に止められていたにも関わらず妹が心配したため、

犬を探しに防砂林に行き、やはり声をかけられ薬を嗅がされたらしい。

結局、男の子がさらわれている間に犬は自力で家に戻ってきた。 依頼人は被害にあった生徒が通う学校のPTA。
個人では少々値が張るためこういう形になることはさして珍しくない。

「何つーか、レイ。仕事のハバ、広げすぎなんじゃね?もっとでかい仕事一つ取ってガツンと稼ぐほうが性に合ってると思うんだけどよ……。」
「ハイリスクローリターンじゃ持たないっての。経理がうるさくてしょうがない。ガツンと稼いでガツンと出費じゃね。
…ローリスクってことはそんだけ手間がかからないから数、こなせるでしょ。」
こっそり、あんたがもの壊すような場面もないだろうし、と付け加えた。
「…これがか?」
胡散臭そうな目つきでバロールはレイを見た。
手間がかからない…では無く金がかからないというほうが正しいだろ。と、その目は語っていた。
「大体なんだよ。その3月うさぎとかいう変態。一晩たったら子供は帰ってきてんだろーが。だいたい今は2月だっつーの。」
ぶつくさ言いながらもバロールの目は防砂林に向かっている。
彼は今、防砂林を望遠鏡で観察していた。

暗視+赤外線モニター付きでかなり精度が高い物だ。

口ではいろいろ言いながらもバロールは仕事をきっちりこなす。
今はからだを動かせないのが退屈なだけなのだろうとレイは苦笑した。

「で、なんかあったのかよ。そっちはよ。」

「あるよ。九時頃に朝食たべて、昼までに帰って来られるなら、車で送り届けた家から二時間前後の所。
その範囲で子供相手に性犯罪歴があるのは二人。」

レイは一度言葉を切り髪をかきあげた。

さっと顔にかかった手の影が濃い陰影をつけ落ち着いた色の瞳はさらに深くなる。

「ま、関係なさそうだけど。」

「あ?」
詳しい説明を求める声をバロールがあげた。

「五十代の男と二十代の男がいたんだけどね。五十代のほうは三歳から五歳までの男の子八人に色々。
二十代のほうは普通に中一の女の子とホテル。」

「……まぁ、違う気するよな。趣味変わったとかねぇかな…」

「アリバイ一応あるしね、二十代のほうは。普通にアルバイト。」

「五十代のほうはねぇのか」

「引きこもりでね。」

淡々と答えたレイとは対象的にバロールの顔は露骨に不快感を表している

「……気色悪ぃ……」

「そこで、反則技。」

ぺらりとレイが出した数枚の写真。

「この辺り、海の近くのくせして山多くてねぇ…虱潰しの人海戦術じゃ逃げられる。
それにしても、出来の良し悪しが激しいなぁ…ほら、これ、すごいぶれてる。こっち綺麗なのに。」

「……コストダウンしろよ。」

レイが出したのは航空写真。

ヘリをチャーターして上空から撮影したのだろう。

おまけに赤外線カメラだ。

おかげで地下通路までハッキリわかる。

明らかにただの山小屋にはない設備だ。

「海辺の、とか言いながら山小屋にうさぎはいるんじゃないかな。 三人の靴についてた土から判断するに、ね。
山にしか生えてない木の種も出てきたみたい。 それらしい小屋もあったし。」

「スルエンの奴は。」

「ん?今ね。新作の防犯装置のテスト中。この被害にあった学校の子供達にもたせてんの。 モニターにってことでタダだってさ。627個だっけな。また経理に怒られる。」

そういうレイの口元には笑みが浮かんでいる。

「五十代のほうの家には一応見張りつけといたし山登りにいってくるよ。
入れ違いにまたさらわれないように見張っておいてね。
子供って禁止された場所に入るの好きだからね。」

楽しげに話すレイをバロールは、じろりと下からねめつける様に睨みつけた。

「てめぇ。わざとだろう…」

ぎりぎりと歯ぎしりしかねない形相でこちらを見上げるバロールにレイは涼やかな笑みを向けた。

「なにが?」

「てめぇ一人美味しい所だけもっていきやがって…。俺は結局留守番か!つうか、いつの間にかそんだけ手筈整えてんだ!」

「昼買いに行ったとき。行って来まーす。」

しれっと答え、レイは車に乗り、山へ向かった。

昼を買いに行った方向とは逆。

つまり、写真や情報を手に入れ山に向かう途中にモーテルがある。

「嫌な空だ…。」
薄暗い空は相変わらず鬱陶しく、レイは誰ともなしにつぶやいた。


雨足がだんだんと強くなる。レイは車中で背中を覆っていた髪を一本に結んだ。

そして、器用に百八十近い長身をゆったりとした黒のつなぎに似た服で包み車を降りた。

腰にはたっぷり入るウエストバックが巻いてあり、肩やふくらはぎにポケットがついている。

レイは散歩道利用者の駐車場にいる。

もちろん、車で目当ての小屋までいけるのだが見つからないようにするほうがいいに決まっている。

「やっぱり、撥水性も重要だよね…。」

早くも色を濃くし始めたつなぎを見てレイはため息をついた。

レイは曲がりくねっているが整備されている道をたどらず、小屋の方角めがけてまっすぐ悪路を強引に突っ切った。

一度も迷わず、目的の山小屋を視認した。

間近で見ると、ずいぶん古い。

山小屋とレイはいったが、小さな研究所のような雰囲気を持っている。

あるいは病院。

人がいるか確認する。

いない。ガレージは空。

ガレージ付近の足跡に子供と大人の物が残っていた。
このまま雨が降り続けば、消えてしまう。

デジカメを取り出すと、数枚写真をとる。

子供達の証言によると、あてがわれていた部屋から出されるとき、階段を登ったという。

地下室だ。

出るために登るとなると、それしかない。

人気のないことを確認し、あいていた窓からレイは侵入した。

(なんつー不用心な…すぐ帰ってくるのか?いや、今地下室かもしれないな。)

入った所は廊下で、床はリノウム張り。明らかに個人宅として建てられたようには見えない。

多少、人のすんでいる建物の匂いはする。

全く人の出入りがない建物とそうでない建物は同じように古くともどことなく違うものだ。

(なんか嫌な感じがするな…)

手当たり次第に手近な部屋に入り床を調べていった。

最後に突き当たりの部屋に入ってみた。

すたすたと水が垂れているのはこの際気にしない。

違ったらあっさり逃げればいいや、と始めで腹を括っている。

間違ったくくり方だ、とかもろもろの指摘をする人間はここにはいなかった。

そこは窓のない書庫に見えた。

古い紙の匂いと埃、そして…なんだろうか薬の匂いに妙な匂いが混ざっている。

(鼻はバルの方が利くんだよな。)

ちっ、と、くだらないことで男の顔を思い出した。

(…しかし、なんだ?この匂いは…)

部屋の入って左床辺りの空気が違う気がした。

慎重に床を探る。

わずか、色と手触りが違う箇所があった。

(……ビンゴ。)

取っ手があった。

取っ手を引き出し、引いてみるが開かない。

押してみる。開かない。

傾けてみる。

(………?)

なにかを思い出したように、レイは取っ手を反時計回りにひねりながら引っ張った。

ばしゅっと空気が勢いよく扉の下に入り開いた。

(……この扉……)

懐中電灯でうらの蝶番を調べる。

ごく小さなかき傷ににた模様がついていた。偶然ではない。

蝶番すべてに同じ傷がつくことなど有り得ない。
レイの瞳に鋭いものが閃いた。

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