甘露を含んだような微笑も、穏やかな寝顔も艶やかな流し目さえもかなわない瞬間という 物が彼女にはある。


少なくともバロールは、そう思っている。





―ー二十三夜月(はつかあまりみかづき)






それは珍しくジャスティが本当に命を狙われた時のことだった。

ジャスティは若き貿易会社社長。身一つで成り上がった三十一歳独身。

加えて美人となれば逆玉を狙った男達が群がる群がる。

適当に流せばよい物をジャスティもジャスティ。遊んだ上に一方的に捨てたりもする。

おかげでレイチェル達のお得意様になっていた。

それでもこれまでは子守程度にしかならないお得意様だったのだが…。


ばしん、と小さな掌が大きな机を叩く。 

「今度は本っ当に危ないの!」

肩を怒らせ赤い唇をわななかせジャスティが主張する。

「OK、OK。本っ当だな。」

肩をすくめてバロールが茶化すように続ける。

「何度目だ?スルエン」

「ジャスティ。そのデスク、何度みてもいい色。横の浮き彫りの滝なんか今の日差しの角度でみると最高だね。」

レイはクッキーを勝手につまみながらおどけてデスクを誉める。

「レイ!何度言えばこれは竜だって…そんな場合じゃないのよ!」

「九回目だな。話を聞いただけのは五回。二回はバロールとレイ、一回は私とバロール、 もう一回は…新人の実地デビューだな…で、相手は?ジャスティ。」

スルエンは淡々と数字を挙げ、依頼人を(一応)見向きもせずに湯気のたったカップに手 を伸ばした。

「スルエン!それがわかれば苦労はしないわよ!」

ぼろぼろといきなり大粒の涙をこぼしたジャスティを見て、レイは軽く目を見張り、バ ロールは片眉を上げ、スルエンはカップを静かに空にした。

スルエンの表情には変化がなかった。ただ、足を組んでいたのを元に戻した。

とにかく、それはそれぞれどうやら「今回は」違うらしい、と判断したのだ。

レイはジャスティのよこに移動し背をさすり、穏やかに尋ねた。

「ね。どうしてそう思うの?」

バロールとスルエンは社長室を調べ始めた。

「今朝、車に乗ったら…仕事用の黒いクライスラーよ。私が絶対つけない香りがした の。」

バロールは腕組みをして天井を見上げている。

バロールが顎でシャンデリアを指し示す。

「オーデコロンかしら。ウッドベースみたい。で、よく点検したの。そしたらブ…… ちょっと…きゃぁ!」

レイはジャスティを抱えデスクの反対側に飛び、ジャスティの悲鳴に一拍遅れ窓ガラスが 割れた。一瞬前までジャスティの頭があった空間を弾丸が切り裂く。

バロールとスルエンはそれぞれソファの影に飛び込んでいた。

先刻の小さな手のひらによる殴打には十分過ぎる余裕と貫禄をただよわせていた重厚なデ スクもライフルの一撃には見事に無残な穴があいてしまった。

年代物のデスクは最後の主の楯になり夏の日差しに輝くガラス片に彩られていた。

ジャスティをかばうように抱きかかえたレイがジャスティに話の続きを促す。

「ブレーキが壊されてたんだね?」

がくがくと頷くジャスティ。

スルエンがソファ越しに更に訊いた。

「で、どうした。」

「…ショッピング用のジャガーに…私絶対仕事にあの車乗らないのに人の車に細工しにき て香水の香りを残すトンマのせいでこんな…て違うわよ!」

恐怖のあまりか錯乱し一人突っ込みを始めたジャスティ。

ニュッと顔を出したスルエンがバロールに問う。

「カメラか?」

「ああ。脚立かなんかねぇか?その机は動かすの面倒だからよ。」

「カメラ…?」

一気に空気が抜けたようなジャスティ。

勢いがなくなり呆然とバロールを見上げる。

「社長!」

「今の音は!ご無事ですか!?」

「おーおー。慕われてんなぁー」

言いながら、スタスタとバロールは窓ガラスに近づく。

「ちょっと!」

「あ?しばらくは平気だ。プロなら一発で仕留められなきゃ出直すんだよ。あのビルか… 次からは防弾にするんだな。」








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