腰までかかる長い髪は彼女の実力を測る物差しでもある。

「ーそこまで!」

張りのある声が訓練場に響いた。

濃赤のたっぷりした裾が翻り白い素足が床に降りた。

そこには15人の人間がいた。

1人は審判。5人は自主訓練を終え、見物に徹していた。

立っているのは3人。

1人は金髪混じりの黒髪。

180弱の長身だが他の2人にするとだいぶ細い。

華奢といっても良い。が、唯一表情に余裕があり、まだまだ動けそうである。

残る2人は立ってはいるものの、片方は顔面蒼白、もう片方は真っ赤に火照り息がかなりあがっている。

残る6人はというと……倒れているか、縛り上げられていた 。

「残念。時間切れ。」

おどけた調子で小首を傾げると、さらさらと髪が音をたてた。汗を全くかいていないからだ。

レイチェルだった。

「……くっ、卑怯だぞ!素手での勝負のはずだ……っ」

顔を赤くした男がかろうじて声をあげる。

蒼白になった男は無言で縛られている仲間を解放している。

「ん?別に私が持ってきたヒモじゃないでしょ。その縛られてる仲間の帯を拝借しただけで。」

「これでは8対1にならんだろう!」

「じゃぁ、時間内にほどけばよかったじゃん。もしくは縛るにも時間かかるんだから、妨害する。とかさ」

「それができていれば苦労は無いわ!」

憤懣やるかたない様子の男に、外野から野次が飛んだ。

「おいおい。情けねぇなぁ。あと1人ぐらい粘れよな。」

「…これで27戦27勝。あと2回で私の30勝だな。バロール。」

「けっ…ほらよ。」

ぜいぜいと肩で息をしている顔を赤くした男の顔には賭けるな!とあったが、いかんせん バロールとスルエンである。

片や素手でやり合えばレイチェルも苦しい猛獣。
片や開発部創立者にして情報部きっての変人。

逆らえば私生活からなにから丸裸にされ怪しげな機械の実験に使われそうだ。

何も言えない。

大人しく仲間の介抱に加勢した。

そんな男の心境などつゆ知らずレイチェルはスルエンの隣に腰を下ろし、小声で話しかける。

「ねぇ。たまには私にもなにかないの?2人して人の勝負で賭けしてさぁー。スルエンいっつも儲けんじゃん」

「ふむ…そうだな。写真なんてどうだ?ー―な物だが。」

つ、とスルエンもレイチェルのほうに顔を寄せてこそこそ答える。

「……一応見せて。」

「…何こそこそ話してんだ。」

胡散臭さそうな目つきでじろりとみるバロールにスルエンはいつもと変わらない何を考えてるのか分からない無表情のままだった。

レイチェルは軽く笑みを見せて立ち上がりさやさやと髪のすれる音を残し去っていった。

掴まれたり視界をふさいだりと、格闘に著しく不利に働きそうなほど長い髪も彼女にとっては何でもないらしい。

しかも今回はあえて髪を束ねず、必要最低限の動きで八人を捌いてみせた。

激しくアクロバティックに動く彼女もまた楽しいが流麗な水の流れにも似た動きもまたいいものだ 、というのが見物人の一致した意見だった。

最も、いいようにあしらわれた8人はそれどころではなかったが。

「しかしレイチェルさんの髪。派手だよなぁ。自前かな?」

「黒に金があんだけ混ざってんだ。わざと染めてんだろ。赤毛に金が混ざるならわかるけどよ。」

「まぁなぁ。てか、白髪が混ざると老けて見えるが金髪だと派手だなぁ本当に。しかし、きれいに染めてるよ。」

「……面倒くさそうだ。やっぱり女は違うな。」


訓練場の隅で見物していた男達がの話はレイチェルの髪色のことに移っていた。 

鮮やかな黒と金の対比は染めたものではなく実際は自前の色だが、いちいち説明もしないのであまり知る人はいない。

しばらく、黒に染めたことがあったが面倒くさくなりすぐにやめたということをバロールとスルエンは知っていたが特に何も言わずに訓練所を後にした。

スルエンは仕事の残りを済ませるとかで、情報局へ戻り、バロールはなんとなくレイチェルの執務室へ向かった。

部屋の中には緩やかなスウィングが流れていた。麻のざっくりとしたスーツに着替えたレイは、部屋の灯りを点けずに窓ガラスの向こうを眺めていた。

時刻は7時を回り、部屋の中は薄暗い。

その中で、星を抱いた夜空を思わせる髪は柔らかく光を弾いている。

無言でバロールはソファーに身体を沈めた。

レイチェルは少し顔をバロールに向けるも、すぐに窓ガラスの外に視線を戻した。

「髪、伸びたな。レイ。」

「どうしたんだよ。急に。」

僅か笑いを含んだ声で返事が返ってきた。

振り返るレイチェル。薄闇の中、蜜色の瞳がきらりと透明度を増し金に輝いた。

バロールは苦笑いし、どうもしねぇよとつぶやいた。

「何か窓の外にあんのかよ。」

「前に…」

「あ?」

「前に捕まえた殺人犯の母親がそこにいてね。」

かすかな痛みを口の端ににじませレイチェルは窓ガラスに触れた。

「いまだに、信じられないみたいで。時々待ち伏せされる。」

「あの額縁メガネのおばさんか。」

「ん。まぁね。あぁ。もう今日は帰るみたいだ。朝からいたから疲れたろうに。」

淡々と述べたレイチェルの声には、特別これといって感情は見えなかったが本気に聞こえた。

はぁーっと特大のため息を落としたのはバロール。

現実を受け止められずに自身を責めに来た相手を気遣ってどうする!という想いが盛大に込められている。

呆れたがそういう奴だというのもよく知っている。

レイチェルの柔らかな唇にはなんとも言い難い微笑が刻まれていた。

諦めでもなく、達観したわけでもない。ましてや傷ついたわけでもない。

が………。
バロールはがしがしと濃い灰色の頭をかいた。

「なぁ。なんか食いに行こうぜ。もうどうせ仕事、今日はしないだろ?」 

ソファーにふんぞり返ったまま、横柄に言うバロール。
「そだね。何にしようか?」

すいと立ち上がりレイチェルの髪を一房指に巻き取る。
冷たく、滑らかな感触に唇を落とした。

「……イカスミスパゲティなんてどうだ。」

「…………何考えてんだ。」


呆れたような声をあげたレイチェル。

リモコンを手に取り音楽を止める。

「ほら。いくよ」

窓の外には細い月が見えていた。





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