それは、ちょっとした出会い 振り返る事なかれ 「あー……今日も雨か……」 ぼんやりとした空からは、ひたすら水が落ちてくる。 世間では梅雨というらしい。 クロノスの命を受け、今私はジパンクに来ている。 監察官どのの護衛なのだが非常に憂鬱だ。 なにせ、監察官どのときたらジパングが初めてらしく事ある毎に写真を撮りたがる。 彼女は比較的表立った仕事も多く一般向けの顔もあるからこれぐらいは普通なのかもしれないが、私は基本的に画像を残さないよう、残ってもまともに顔が写らないよう立ち回るように体ができあがっている。 監察官どのはごく普通のホテルに泊まっている。 あくまでジパンクの普通なので、なかなかレベルは高い印象は受けた。 侵入経路、狙撃ポイント、従業員の顔等をチェックし私は問題ない事を相方に伝え、野暮用を済ませに行く旨を伝えた。 ぬかるむ泥の匂いはどこも変わらないのだなとくだらないことを考えながら路地を曲がる。 少々進行方向に不穏な空気が流れていたが、気にしない。 顔を伏せ、隅を通れそうならそうするし、道がふさがっていたら少し回り道をすればいい。 知らぬ存ぜぬはこの国の美学でもあるのだとここ数日で学んだ。 そう。ただの通りすがり。関係のないことだ。 軽い足音がこちらに向かってくる。 本当に軽い。 目の前で、べちゃりと盛大に泥をまき散らして転んだ。 すぐ目の前の角の方から大人の叫び声と足音がする。 追っ手が角を曲がるより早く、私は泥まみれの子供を横のゴミ箱に放り込んだ。 「ガキはどっちだ!」 何も答えず、ただ後ろを振り返ると男達は走っていった。 たまたま、ぬるくなったペットボトルのお茶があったのでそれもゴミ箱に放り込んだ。 がたがたとうるさい音がする。 引っ張り出すと、後生大事にペットボトルのお茶を抱えて出てきた。 泥まみれのくせしてからなにやら甘ったるい匂いまでする。 何なんだ。 なんだかえらい真剣な目つきで私を見てくるので思わず見つめ合ってしまっていたらいきなり白スーツのおっさんが現れ、開口一番…… 「その子を離せ!」 何なんだ。 「いやーすまんすまん」 なにやら、誤解は解けたようだ。 隻眼の自称紳士はお人好しで貧乏で間抜けというのはこの短時間で把握できた。 なにせ、無言で何を聞いたわけでもない自分にその泥まみれの子供が重要な参考人でその子を裁判所まで連れて行ったら報奨金がでるとかでないとかで。 だから、別に怪しい物じゃないし珈琲ぐらいおごらせてくれ云々…… ズボンの裾はよく見ればすり切れかけた箇所をよく修繕してあり、ボタンを付けている糸の色が微妙に違う。 シャツの襟は着古してあるがなんとかアイロンで見栄えを保っているようだ。 そんなものはいらないから子供を湯船にでも早く放り込んだらどうだと答え、私はその場を去った。 相棒と交代し観察官殿のお食事に付き合う。 姿勢が良いのは良いことだが、ナチュラルさが無くむやみにまっすぐな背筋と慇懃さあふれるフォーク運びにうんざりする。 さんざんここで食事がしたいとのたまっていたが、本当にそうなのか小一時間問い詰めたい。 いや そんなコトしたら私が泣き出すかもしれない。 半生レバーを注文したら嫌みを言われた。 「血の気の少なさそうなあなたにはちょうど良いかもしれませんね。途中で貧血など起こされても困りますから」 監察官どのよりは丈夫なんですがね。 ちょうど良いかもなんて言うなら運ばれたとたんナプキンで口を押さえないでくれ。 あぁその綺麗な口にイナゴの佃煮とやらをつっこんでやりたい。 瓶で。 食事を終えると、クロノス経営の会社に向かう。 ただの荷物持ち程度、あるいは未だ役立たずの後輩の役目。 まぁどちらでもいい。 会社で出されたお茶請けはなかなか美味しかった。 どうやら市販の菓子だったようなので休憩時間にでも探してみようかと考えていたら、電話が鳴った。 「今すぐ動けるか」 陰険な上司だった。 監察官殿は資料室、 相棒はトイレだ。3分内にはと返答する。 野暮用が出来た。 空がおかしな色をしている。 ウインナコーヒーをかき混ぜたらこんな感じかもしれない。 間違いなく激しい雨が降る。 そう言えば、少し雷の音が遠くでしていた。 私は指定された場所へ移動する。 『重要な裁判の証人が始末されそうだ。掃除人がついているようだが、念のために君も行って欲しい。今から下に伝えるより君が早く、そして信頼できる』 そこまで言われたらね。 行くしかないでしょう。 最後の確認された地点に到着。 数人のちんぴらが網に絡まっていた。 適当に殴り、方向を聞く。 神経をとがらせる。 何か無いか。 一般的な街の喧噪とは違う、『日常』の匂いのする方向。 ちんぴらのバイクを拝借し、追いかける。 ちいさな黄色いぼこぼこの車がなにやら頑張っているのが視界に入った。 満身創痍、必死そうだ。 後続の車一台、バイク三台がおもしろいように追い詰めていく。 迷惑なので取りあえず、FN ブローニングM1910を取り出す。 小型で持ち運びに便利なのでスーツであまり荒くならなさそうなときはコレを持っていた。 タイヤに照準を合わせ、二度引き金を引く。 一台完了。 激しい音を立てているが、きっと路面が濡れているせいもあるだろう。 赤いバイクの男がこちらを見る。 殺すのは不味いので、取りあえず挑発する。 簡単な仕草。 ちょろいちょろい。 乗ってきたので横から蹴り飛ばす。 上手く植え込みにダイブ。 十点満点。 黒とオレンジのバイクの野郎が殺気立つ。 黒は少し、迷っているように見えた。 どうでも良いが、黄色い獲物と私の優先順位なんだろう。 オレンジが距離を保ちつつ、こちらに銃を向けて来た。 面倒なので、オレンジバイクは容赦なく撃った。 黒バイクは……消えた。 賢明な判断だ。 黄色い車はガラスは残っていないし、おかしな上下運動はしているしで悲惨この上ない。 きっと赤字だろう。 報奨金が入ってもこれは焼け石に水に思える。 ミラー越しに視線が合う。 そのままいけと合図をする。 裁判所に着いた。 こどもはべそをかいている。 湯船に浸かった後なのに相変わらず小汚い。 おっさんは相変わらず……というより、貧乏くささがえらく増したような気がする。 子供は、検事に引き取られていった。 上司にその旨、メッセージを送る。 任務は終わりだ。 検事の後ろにいた奴はクロノスの知り合いだった。 問題ないだろう。 「おい!」 なにやら後ろから呼び止められたが、他にも仕事を残している。 これ以上おっさんに付き合う気はない。 「おまえ……違うのか?」 一瞬足が止まった。 構わずに進む。 ちょっとした出会いだった。 あのときは、たしかおっさんは警察か何かだった。 ストリートチルドレンの私に、かっぱらいの私から折角の上がりを取り上げ代わりに飴だまを泥まみれの手に落として行ったんだ。 バイクのエンジンをかける。 「ちゃんと食ってるみたいだな!」 あのときみたいな脳天気な言葉。 思わず顔をあげてしまった。 なんなんだよ。 なんで、何時の間に片目になってるんだ。 今日は飴だまはポッケから出てこないんだな。 「覚えてたんですか」 「さっき、思い出したんだ」 「思い出さなくていいですよ」 「……背伸びたな」 「おかげさまで、栄養状態は良い物ですから」 「学校は行ってないのか」 行くわけ無い。クロノスに拾われ、その使いぱしりをしているのだから。 「教育は受けてます」 嘘ではない。クロノスから。世間で生きていくための教養はある程度ついているはずだ。 「仕事中なんで」 おっさんの眼が眇められた。 「銃を扱う仕事か」 「行きます」 それはちょっとした出会いだった。 ただ、路地裏で生活してた頃にほんの少し見えた表の世界の香りがおっさんからはした。 なにかおっさんは言いかけたが、少しほほえんだだけだった。 頭に、相変わらず大きな手のひらが乗せられた。 振り返る事なかれ。 直視することなかれ。 既に闇に拘泥した身には、その光は眩しすぎて。 幼い自分が感じた暖かさに今の自分は身を切られそうで。 雷が鳴り響く。 顔が濡れているのは雨のせい。 そう、雨のせい。 |